小さな人の記憶

 子供と言えば、大人は話がわからない。と、実は、子供を人として見ていなかったり、十分に分かってあげようとしていない姿勢に、気が付けなかったりします。

 イギリスで不調に陥った時に、病院に駆け込むしかなく、治療を受けました。日本でも、こまごま聞かれる最初の時間に、カウンセラーと医者と両方が動くのは、私の日本で通院していた病院と違いました。1時間にも満たない会話で、私が強く促されたのは、「両親と話をよくすること。」でした。実際、これが正解だったと分かったのが数年後ですが、話したくても、話せない状態の両親を相手にすると、医者も、患者への負担を増やす方向で治療が進んでいたのではないかと思います。

 私には弟がいるのですが、母の出産の時の記憶が、すべての誤解の始まりでした。それは・・・。小さな私は、自分が捨てられたから、小さい男の子を連れてきた。と、信じ込んでいたのです。やっと、母にこの話をしたときに、母がもちろんショックを受けていましたが、当時の光景を覚えていた母は、それで、あの時涙を流していたのね。と、誤解が消えてからは、自分の心の傷がやっと消え始めました。

 捨てられたと思い込んだ私に、追い打ちをかけたのが父親でした。今の時代に考えられないかもしれませんが、「お前は女だから、勉強してもしょうがない。」「女のくせに」と、小学生から言われ続け・・・。中学生の時には、私は、弟の成功のための実験台だから、失敗して当然なんだ。と、思い込み、自殺したい。と、それしか頭にありませんでした。この時期の父は、暴力がひどく、殴るけるどころか、投げ飛ばされることもあったほどで、思考のゆがみは、固定してしまったのです。

 のちに、自分にも生きる価値があると思える哲学に出合い、蘇生するのですが・・・。頑張っても、生きにくい世の中と、変わらない両親からの過干渉で、心身ともに壊れたときは、自殺寸前の鬱病になっていました。