新しい親子関係

幸い、私の両親は健在です。それくらい、自分も年を取ってしまいました。

 

今年に入って、通院しても、いつも自分で調べて解決したことを伝えるのみ。それ自体がストレスで、何より、適応障害もあるようで、電車に乗ると発作が出やすいのに、薬を止めてほぼ1年。治療に疲れも生じ、合意のもと、通院を終了しました。

 

 そこから、すぐに普通の人と同じ生活とはいきませんでした。疲れ切った心身は変わらず健在。人がいっぱいのところや、知り合いがいるところでは、調子も崩しやすく、不眠に1週間は悩まされます。それでも、病院のストレスからは解放されて、少しずつ、前進しているといえます。

 

 両親の問題は、母が理解を示し、動き出しました。これがきっかけで、随分と、母と話ができるようになり、人に危害を加えていた父は、小さくなっています。度が過ぎれば、自分でも後でどうしょうもない自分を認めるしかないのでしょう。

 本当に最近のことです。母と私の対話が始まったのは。そして、自分が間違って思い込んだ考えが、今も自己犠牲してしまう原因だと気が付いたのです。自分が我慢すれば・・・。ほかの人はいいかもしれませんが、結局、自己犠牲の上に出来上がるのは、私の場合は、心の病でした。そして、自分が幸せになれないと信じ込んでしまうほどの、暗いトンネルです。そのトンネルを用意したのは、父でしたが、見抜けなかった自分から、気が付ける自分に変わったとき、すべての環境を再び変えていける力を手にしていると実感します。

 一度は、自分の思うように歩んだ人生を、全力で破壊してきたのは、父親でした。それを、わかるようになったとき、本当に怖いのは、心が間違って認識してしまったこと。それだけの、恐怖を味わい、殺されるんじゃないかと思っていたので、その時は仕方がありませんでしたが、今は、正しくそれこそ認知療法を完了しました。

 

 誤解の裏には、左利きの私のユニークな思考回路だったり、バイリンガルを通過して、英語の感覚で話をしていたり、良くも悪くも多くのことが理解できなくてここまでこじれましたが、うつ病を発症したときに、こうして、母と仲良くなれる日が来るとは思っていませんでした。少なくとも、父は今では、気を使っているのは確かです。

 時間がかかっても、再び心の病に無理解の社会にぶつかっても、今回の勝利はきちんと自分の人生に残せるから、同じようなところで困っている人の、希望になれば。と、ここに記しました。

アメリカのカウンセリングの本

んー。タイトルは、手元にないのでごめんなさい。ついでに、日本語になっていない本なので、いいかなー。と・・・。

 

実は、虐待を受けて育った人のカウンセリングをしている方が書いた本です。そして、結果、子供が鬱病などの病気で患者さんとなって治療にやってきている人が書いたもの。なので、自分には、とても役に立ちました。何より、言葉にできない気持ちを、はっきりと言っている患者さんの言葉に、そうなの!と、すっきりしながら、自分を見つめ返した時間となりました。

 んー。本当は、これが日本語になれば、何かのきっかけになる人がいるかもしれないのに、ちょっと残念です。実際、意地悪な友達とか、自分勝手な人達に関しての本も、英語で読むうちに、もうこんな人たちは身近に置かない。と切り替えられたので、日本の文化に馴染まないとはいえ、便利な本は英語でみつけました。もし、英語を使う方がこの文を見ていたら、アマゾンで見てみてください。

 ケースバイケースと言っても、理想の骨組みとは違う家庭で育ったために、知らずに歪んでしまった思考を訂正するしかないと思います。認知療法と言われて、ずいぶん私も取り組みましたが、妥協させられることも多く、その枠を超えるには、大きな枠を自分で作るしかありません。その一助となったのが、私の場合、本でした。

親子関係と鬱病

鬱病と書いていますが、実際、私は時々ハイになる時期がありました。BBCのプログラムを見ていて思ったのが、鬱病というよりは、双極性だったのかもしれない。ということ。ひどくならなければ、とってもよく仕事ができたり、睡眠時間が短くても莫大に学べたりと、都合がよかったのも、ひどくならない間だけのことで、忙しくしてないと気が済まないのは、これまた大変です。

 

 私の両親の話は、ほんの少ししましたが、職場や学校が原因で・・・。変えたら治りました。という人でない場合、家庭に問題がある場合は、両親との時間は無視できない問題です。

 父親の嫌がらせのような行為は、落ち着いたと思うと、再開されるという状態で、治療が長引いて実家に戻ったり、家を出るタイミングを逃したり、(私は、家を出るこそすら、毎回全力で阻止される始末でした。)という患者さんなら、無理解という以前の問題に頭を抱えている事に気が付くきっかけになれば、と思って書いてみました。とにかく、イライラする、引き金になる行為や空気ってあると思うんです。それが、鬱病のどん底に引きずり込むことが多いのでは?と、自分の経験で察しています。それを、やめてほしい。と、頼むと、それをわざとするとしか思えないことをするのが父親です。主治医にも、手の打ちようがない人だと、あきれられたのですが、厄介なのは、時々、まともな思考回路と親切心を持つ時期があることで、だまされてしまうことでした。

 結局、私が巻き込まれたのは、両親の間の問題。そう、夫婦間の問題で、それを毎回記憶があるころから、気分で暴力をされていた私には、自分のせいなんだと、間違って理解してしまったのがいけなかったのです。

 よくよく考えると、子供と夫婦の問題ときちんとクリアーにしていかなければ、捨てられたと思うくらいの子供の思考回路では、すべて自分が悪いと思い込んでしまっても仕方がありません。そして、修正する機会がなかった人は、気が付かないくらい、心の深い根っこの1つに、こんな悪い根っこを張っているかもしれないと、気が付いてほしい。親が話せない人なら、まず、自分の心を自分で守りませんか?

鬱病治療・・・

当然、病院へ行くのですが、対処療法のようなものに感じます。薬を処方され、眠れないと言えば、睡眠薬。食べれなくなっても、摂食障害と診断されることなく、やせすぎだと注意されるだけ。

 前の記事にあるイギリスでの診断には、摂食障害と、医者がすぐに判断をして、専門医につなぐ書類を用意したのですが、自分で治せないからやせていく人に、注意をするだけ。精神科と言いながら、薬を出すだけの日本と、治療をする外国との違いを今は実感します。当時は、そんな判断もつかなかったので、わからないまま日本の方式を選びましたが、血液検査もない日本の病院では、体の疲れを消すための、ビタミンバランスの検査などは、考えられないのかもしれませんが、外国の友達は、今回の結果でビタミンDが足りなかったの。などなど、毎回、食生活の改善やサプリメントを活用しているのです。

 よくバランスのとれた食事。と、本を書いているお医者さんがいますが、その必要性は、薬を出すだけの医者からは、何も言われないかもしれません。食事を楽しむ心が生まれてきたとき、きっと、うつの苦しい時間は減り始めているかもしれません。食事も目安にしていくと、心身ともに健康を取り戻していける一助になると、振り返った時に思います。

小さな人の記憶

 子供と言えば、大人は話がわからない。と、実は、子供を人として見ていなかったり、十分に分かってあげようとしていない姿勢に、気が付けなかったりします。

 イギリスで不調に陥った時に、病院に駆け込むしかなく、治療を受けました。日本でも、こまごま聞かれる最初の時間に、カウンセラーと医者と両方が動くのは、私の日本で通院していた病院と違いました。1時間にも満たない会話で、私が強く促されたのは、「両親と話をよくすること。」でした。実際、これが正解だったと分かったのが数年後ですが、話したくても、話せない状態の両親を相手にすると、医者も、患者への負担を増やす方向で治療が進んでいたのではないかと思います。

 私には弟がいるのですが、母の出産の時の記憶が、すべての誤解の始まりでした。それは・・・。小さな私は、自分が捨てられたから、小さい男の子を連れてきた。と、信じ込んでいたのです。やっと、母にこの話をしたときに、母がもちろんショックを受けていましたが、当時の光景を覚えていた母は、それで、あの時涙を流していたのね。と、誤解が消えてからは、自分の心の傷がやっと消え始めました。

 捨てられたと思い込んだ私に、追い打ちをかけたのが父親でした。今の時代に考えられないかもしれませんが、「お前は女だから、勉強してもしょうがない。」「女のくせに」と、小学生から言われ続け・・・。中学生の時には、私は、弟の成功のための実験台だから、失敗して当然なんだ。と、思い込み、自殺したい。と、それしか頭にありませんでした。この時期の父は、暴力がひどく、殴るけるどころか、投げ飛ばされることもあったほどで、思考のゆがみは、固定してしまったのです。

 のちに、自分にも生きる価値があると思える哲学に出合い、蘇生するのですが・・・。頑張っても、生きにくい世の中と、変わらない両親からの過干渉で、心身ともに壊れたときは、自殺寸前の鬱病になっていました。

 

心の病と見えない心の棘

 ほぼ、10年にわたる鬱病との付き合いは、これまでの人生を変えてしまう時間でした。病院に行っても、薬を出されるだけ。カウンセリングは、別のところで・・・。血液検査も行われず、すごい量の薬をひたすら処方される。

 眠れなかったり、眠り続けたり・・・。減薬をすることは、容易ではないし、薬を止めても、不安定な毎日と向き合うばかり。私が、日本の医療では、無視されていた助けのない部分を、英語で見つけた本や同じ病気の友達の治療との違いを痛感して、切り抜けた記録です。

 長い治療で疲れている人の役に立てたら。と、ブログを残すことにしました。